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メール仲間の山本邦昭さんから届いたメールです。
とても良い内容でしたので、紹介させていただきました。


2010年5月16日 東京新聞「へこたれない人々」
――「障害はどこまでいっても治んないでしょう。ふつうに近づこうと目いっぱ
い努力しても、疲れ果てるだけ」。京都市内の自宅で、大畑楽歩(らぶ)は、華
奢な体をあおむけるようにして笑った。隣には夫の真一34と、一人息子の享太郎8
がいる。
透き通るような肌、丁寧に引かれた口紅、マスカラとアイシャドーを塗った
目元が涼しい。化粧をするのは、「なーんだ おなじ人間やん、と思ってもらえる
」からだ。
「楽しく歩く」と書いて「らぶ」は、本名。名前とは裏腹に、脳性マヒの体
は、歩くと不安定に揺れ、話すと言葉がもつれる。「外見で宇宙人扱いされがち
。でもお化粧をすると、外出した時に『お手伝いしましょうか』と声をかけてく
れる人が増える。特に女性が共感してくださるようで」
脳性マヒになったのは生まれてわずかのころ。

両親は普通学級に進学させた。~学校生活は困難の連続だった。頭に防具を
つけて学校に通ったが、2、3歩歩くと転ぶ。何とか鉛筆は持てたが、一文字書
くのに5分かかる。
運動会の徒競走は、緊張すると手足が勝手に動く障害のせいで、転んでは立ち上
がるの繰り返し。屈辱を味わった。
その生活が一変するきっかけが訪れたのは、小学校2年のある日だった。そ
れは、米国のドーマン博士が提唱する「ドーマン法」というリハビリ法の日本事
務所設立のニュースだった。「脳に強い刺激を与えれば、脳障害は治る可能性が
ある」との言葉に、両親は「これだ!」と手をたたいた。
治療を始めて半年後の1988年。全国紙の夕刊で「全身マヒの少女 奇跡の回復
」という記事が見開き半ページで掲載された。これをきっかけに、週刊誌やテレ
ビの取材が殺到し、瞬く間にスター扱いとなった。郵便受けには全国から手紙や
プレゼントがあふれた。両親が訓練生活を語った本まで出版された。
ドーマン法の理屈はこうだ。リハビリで脳細胞が活性化し、代わりに働くよ
うになって運動機能がもどる。そのために赤ん坊の時期からの成長の過程を“再
現”する訓練が必要だ。


だがそれは、「世界一厳しい訓練」だった。訓練は、朝6時から自宅の居間
で開始。腹ばいやハイハイ、鉄棒…。わずかな休憩だけで、夜中までひたすら運
動を続けた。
手のひらは一面水膨れになり、足は擦りむけ、整形外科や接骨医に通った。
マット回転では、胃液を吐き続けた。
ウンテイを使った訓練は、受け身をとれずに落下する恐怖と強烈な痛みに耐えた

てんかん発作が消え、歩行や呼吸が改善。しかしやがて、初期の目覚ましい
効果は薄れた。どれほど努力しても、治らない。それなのに、「驚異の回復」「
健常者まであと一歩!」と報道が続くのが、恐ろしかった。
中学2年で、「学校に戻りたい」と両親に訴え、訓練をやめた。だが復学後
は勉強にも学校生活にも追いつけず、高校受験に失敗した。血のにじむ努力を重
ね、家族が犠牲を払った6年間はなんだったのか……。「あたし、生きててええ
んやろか」。街をさまよい、車道に飛び出し、屋上の柵を乗り越えようとした。
障害ゆえ体がうまく動かず、自殺もできなかった。
そして、「落ちるところまで落ちた」とき。「悩みすぎて、バカバカしくな
った。今も命があるのに、あたしは何をグチグチしとんのやろ、と」
18歳で時給600円のアルバイト事務員に就職。1日の給料と、仕事で痛めた体
の1回のマッサージ代が同額と気づく。「どこで雇われようが、中卒で脳性マヒ
の身体障害者1種1級。それなら生きるために追われるんじゃなく、楽しんで生
きようじゃないの!」
仕事を終えると、英会話に水泳、電動車イスサッカー…。“5時から女”が
誕生した。やりたいことは何でも試し、ついにはニュージーランドに語学留学を
実現。テニスサークルもつくった。車の免許を取り、行動範囲が広がった。
理学療法士の夫、真一さんとの出会いは、全国障害者問題研究会の場。楽歩
は、分科会で他の参加者が名前だけ名乗る中、生い立ちから自分のサークル勧誘
まで15分も話し続けた。真一は「楽しそうにしゃべるなぁ」とあっけにとられた
。「暗いところでピカッとする光を見たようだった。僕は昆虫みたいに光に寄っ
ていった」


22歳で結婚。ジャガイモを3個切るのに1時間かかっても、台所仕事は喜び
だった。そして妊娠。転倒や体調不良との闘いだった妊娠期間を経て、帝王切開
で出産。出産後は不随意運動の障害で傷口が開き、なかなか回復しなかった。
息子の享太郎は誰もが認める「ユニークな子」に育っている。3歳で東京デ
ィズニーランドに親子3人で出掛け、4時間迷子になったときも「迷子になった
のは僕じゃなくパパとママ」とケロリ。父母を下の名前で呼んでいる。享太郎い
わく「シンイチはいつもボーとしてる。ラブは楽しみながら苦しむタイプ」


楽歩の将来の夢は、「しんどいときに立ち寄れる障害者の施設をつくること
」。脳性マヒ者を街で見かけないのは、心理的な壁が大きいと考える。「行きや
すい場が必要。障害者が外に行かな、世の中は変わらん」
取材中、横にいた夫の真一は、「僕は初耳や」と目を白黒させた。そんな夫
の肩をたたき、楽歩は「ね、一緒にやるんやね!」と、ちゃめっけたっぷりに笑
った。幼少時の過酷な訓練で「忍耐強くなりすぎ」、家族にも甘えられない楽歩
が、唯一弱さを見せられる相手が夫だ。
機能しない体を無理やり動かすため、老化現象が人の何倍もの速さで迫って
くる。訓練の後遺症もあり、不安は尽きない。
それでも、だからこそ、今を大事にしたいと楽歩は言う。「人は苦労するた
めじゃなく、楽しむために生まれてきたのですから!」――
★1978年京都府生まれ。生後2週間で食道閉鎖症の手術後、心拍停止で仮死状態
になり、脳性マヒに。小学2年から中学2年までドーマン法のリハビリ訓練を受
け、「奇跡の少女」として取材が殺到。両親が「奇跡のラブちゃん」という本を
出版する。理学療法士の夫と結婚して1児の母。2010年3月、『三重苦楽』(アス
トラ)を出版。

オフィシャルサイト「人生楽しく歩いて行きましょ!」
http://www.ohatarabu.com/

ブログ→http://ameblo.jp/rabu-snoopy/

『三重苦楽―脳性まひで、母で妻』
http://www.amazon.co.jp/dp/4901203436/ref=mem_taf_books_a

●大畑楽歩さんは、季刊『Co-Co LIFE』最新号にも寄稿されています。
季刊『Co-Co Life Vol.10 2010年春号』
http://www.amazon.co.jp/dp/4990438361/ref=mem_taf_books_a


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